たま駅長

動物駅長の先駆けとなったたま駅長

たまは和歌山電鐵の駅長として2007年に任命されると、そのかわいらしさや人間なれした性格が多くの人に愛されるようになり、たま駅長会いたさに全国からたくさんの人が集まるまでになりました。
今では、日本全国のいろいろな駅で動物が駅長として任命されることが多くなっていますが、当時はそのようなことは全くなく、たま駅長は動物駅長のパイオニアとも言える存在だったのです。

当時和歌山電鐵の業績は思うように伸びず赤字が続いていました。
そんな時たま駅長が任命されて、全国からファンが訪れるようになると、電鐵の利用者も伸びるようになっていき、たま駅長のおかげで業績も回復の兆しが見えるまでになったのです。
また、電鐵という一つの会社だけでなく、和歌山という地域においても重要な存在になり、町おこしの中心的な立場を持つようにもなっていきます。

社長代理にも上り詰めたたま駅長

たま駅長は、単なる駅長で終わることなく、その後も順調に昇進を続けていくことになります。
最終的には「ウルトラ駅長」兼社長代理という地位までもらうようになり、その存在感の強さを示していました。
それだけ、和歌山電鐵の人々、電鐵を利用する人、地元の人、全国のファンに愛されてきたということなのでしょう。

和歌山電鐵の社長が猫を駅長にしてPRをするというアイディアを出したおかげで、動物が多くの人々の心を動かすだけでなく、会社や地域の回復にも大きな役に立てるということを示したたま駅長は、本当に偉大な存在であったと言えるでしょう。
その人気ぶりは日本だけにとどまらず、世界各国のメディアにも取り上げるまでになり、駅長としての仕事ぶりを伝えるドキュメントが数多く作られました。

社葬までしてもらったたま駅長

18歳という長寿を全うしたたま駅長は、2015年に亡くなってしまいます。
すると、社葬という形で葬儀が執り行われ、会社全体でその死を悲しみました。

しかし、たま駅長の死は会社という範囲で終わることはなく、当時のほとんどすべてのメディアがその死と葬儀について報道して、日本全国の人たちが悲しむことになりました。
そして、海外のメディアでも大々的に取り上げられ、たま駅長の一生や葬儀の様子などが長時間にわたって放送されたのです。

ここまで多くの人に注目された猫というのはほとんどおらず、日本で一番有名な猫と言ってもいいほどでしょう。
ローカル線のちょっとしたPRになればいい、という気持ちで任命されたことから、日本全国、そしてはるか海外にもその働きと魅力が伝わったたま駅長の一生はとても感慨深いものがあります。
現在は二代目が継いで駅を守っていますので、それにも注目です。